ブラジャーの日にちなんで下着の話、第二弾(書き足りなかっただけw)
母と下着と私1はこちら
母は自分のカップ数をなんとなくしか把握していなかったのですが、家にあったのはC、D辺りが多かったですね。母世代の中では大きい方だったので(平均がAカップの時代)若い頃はよく視線を感じたって自慢してましたが、息子にノーブラ乳首をガン見されてたことには全く気づいていなかったらしいですw私が脱ぎたての下着を拝借して、母の入浴中にバレないように脱衣所でシコっていた事実も、母に取ってはかなりの衝撃だったようですね。
匂い嗅いだり舐めたりして堪能した後、ブラを顔に乗せて、チ○コにパンツ巻きつけて盛大にシコってたんですけど、バレないものですねw
母はあの頃、私がオナニーしてることすら想像もしていなかったみたいでしたから、まさか自分の下着を使って息子がそんなことしてるなんて思い至らなかったんでしょうね、、
手を出す前は、母の下着に(とくに脱ぎたて)かなり執着してましたが、母の身体に(無理やりですが…)触れるようになってからは、下着より生のおっぱい、マ○コに重きを置くようになりました。それまでは父がいない夜は(ほぼほぼ毎晩)母の脱ぎたての下着でオナニーすることだけが生きがいでしたけどw
元々私は下着がめちゃくちゃ好きと言うわけではないのですが、あの頃は母にHなことするなんて絶対に不可能だと思っていたので(意外とすぐ手を出してしまったのですが汗)母の温もりがある脱ぎたての下着に過剰に反応していました。母が着用していることに意味があったんですよね。
母と関係が深まった後は、何か特別なこと(父がずっといて母と出来ないとか)がない限りは、洗濯機からかすめ取ってオナするということは随分減りました。
母に下着を生脱ぎさせて私のオナニーショー開催したことはあります汗 母は「そんなとこ舐めてなんで興奮するの…?」って本気で引いてたくせに、クロッチにぶっかけてる時は釘付けでw母が今目の前で脱いだパンツにぶっかけるところを、母本人にじっと見られている事実に興奮しすぎた私は、出した後母に精液付きパンツを履かせようとしたけど拒否られ、仕方ないからブラの匂いを嗅ぎながらお掃除フェラしてもらって、そのまま2発目口内射精しました。本当に欲望のままって感じだなぁ…
母はそんなに派手な下着は着けていなかったですし、上下が揃っていないことも常でしたが、俗に言うオバパンの類は持っていなかったように思います。母に隠れて下着オナしてた頃は数枚あったような気もしますが、私とSEXし始めてからは意識して減らしたのか、見かけなくなりました。
私は熟女好きなので、熟女とそういうことになって服を脱がそうとした際に「おばさんパンツで恥ずかしんだけど…」なんて照れながら言われたら、愛おしくてたまらなくなるのでなんの問題もないんですけどねwだってオバパン見られる恥ずかしさも超えて、私にどうにかしてほしいなんて最高じゃないですか。いやでも母の乙女心が発動してオバパンをやめてくれたなら、それはそれで興奮しますけど(結局、母ならなんでもいいのでしょうね、私はw)
母が着けていた下着は、至って普通のレースのやつ(説明が雑ですが、参考画像を貼るのはめんどくさいのでw各々の思う普通のレースのやつを思い浮かべてください…)で、色が透けないような地味系か、白とか淡いブルーやピンクをよく買ってましたね。母は自分のことを清楚だと思っていたフシがありますので(淫乱なのにw)純情ぶったラインナップでしたw
私は純情系の中では淡いブルーが母に似合っていて大好きでして、母にもそのことはバレていたので、ここぞという時(私が母子相姦卒業しようと逃げてるときとかw)その上下セットの装着回数がさり気なく増えてましたw
私がプレゼントしたものも着けてくれてはいましたけど、黒、紺、赤、等の私的にエロい色を重点的にあげてたので、普段使いはあんまりしてくれてなかったように思いますね。私と旅行に行く時とか、父が出張中に実家で酒池肉林する時なんかに主に登場していました。
※母との酒池肉林は、自宅で飲みながら焼肉を食べて好きな時にSEXをする宴のことですw
Tバックや紐パンは、1度盛り上がったら2度目はないことが多かったですね…って、ブラジャーの日なのにパンツの話多めになってる気がする。そしてまだ全然書き足りないので気が向いたら3もあるかもしれませんw
コメント