母とおっぱいと私~まだまだ母子相姦(近親相姦)とは無縁だった頃~

ここを見に来てくださる方は、母子相姦に興味があるだけで、私個人のことなどさほど知りたくない人が大半で、さっさと近親相姦ネタでシコらせろよって感じかもしれませんが…えっと…そうですね、バッグボーン把握してる方が興奮しますよ、多分w
もちろん、母子相姦はエロなしでは語れないので濃厚で激エロなものを書こうとは思ってますけど(ハードルw)まあまあじわじわ行きましょう。
エロだけだとすぐネタ切れするかもしれないし、せっかく始めたのにそれは寂しいので出来るだけ長く続くようにね。

私、健太郎はある年の冬に某九州の田舎の病院で誕生しました。母はまだこのとき22歳。ピチピチですよ。
まさか後にこの自らがヌルッと出てきた母ま○こにち○こを挿し込んでしまうなど誰も知る由もなく…と書きながら22歳の母のアソコにちょっと思いを馳せてしまったぐらい筋金入りの母好きに成長しております。

いきなり話逸れますけど、私は熟女好きなんですよね。まあそれは完全に母子相姦からの派生によるものなんですが、今まで母意外で関係した人も全員年上ですし、嫁も50台前半で一回り上ですし、全く知りたくないでしょうけど、好きなAVはもちろん熟女モノです。若い女性とか幼い子とかに全く興味ないんですが、母だと思うと22歳でも股間に響くんだなぁと自分で驚きましたw
…はい、気持ち悪い話は置いておいて続けます。

母は初めての出産で周りに頼れる人も居ない状況だったので、里帰りして産むことにしたそうです。
父は母の8つ年上の30歳で、あの頃は都内で会社員をしていました。
両親のことは別の記事でも詳しく掘り下げようかなぁと現時点では思ってますが(気が向かなかったら掘り下げないかもしれませんがw)
父は簡単に言うと下半身が非常にだらしなく…母が私を身籠って夜の営みが出来なくなると、他の女に手を出す困ったちゃんだったらしく、実家から私が生まれた連絡をしたときも後ろから女の声が聞こえたとか聞こえてないとか…「絶対家に女を上げてたよ、あれは」と母は笑いながら言ってました。

そんなろくでなしな父しか頼る人が居ない状況では流石に無理だろうと、産後も2ヶ月ぐらいは実家で過ごしたそうです。
帰宅後も想像どおり父は飲み歩いてほとんど家にはおらず、育児はほとんど手伝ってもらえなかったらしいです。完全なワンオペ育児ですね。
母は相当過酷な状況だったとは思いますが、何も知らない生まれたての私は、大人になっても吸い続けることになる大好きな母の乳首に毎日吸いついて母乳を飲み、すくすくと育っていきました。
粉ミルクは私のお口には合わなかったらしく一切飲まなかったみたいなので、生粋のおっぱい好きのようですよ、私w

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手を出す前母とのこと母子相姦の思い出達父のこと

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