1の続きの垂れ流しです。
結婚の際は、けじめの中出しを求められましたけど、なんというかキスマーク事変のような、狂った感じではなかったです。
狂いが一段落してからも、一度開花してしまった母の欲はとくに変わらず(むしろ上がったかも…)私がちょっとでも触ると、待ってましたとばかりにチ◯コに手を伸ばしてくるような淫乱おばさんになってしまいました。まあでも、あくまで私がちょっかいを出してからというスタンスは崩さずでしたけどね。どこかで女からそんなこと求めるのははしたない、みたいな気持ちがあったのかもしれませんが、その前に相手息子ですからっていうw
けじめの中出しはしたのに結局けじめは付けられず、結婚後も実家に帰っては母を抱いてしまい、妻が娘を身籠ってから産後しばらくは、嫉妬からというよりも、母が性処理を買って出てくれているようなところもありました。私の性欲がヤバいのは母が一番知ってますからね。浮気したら妻が可哀想だから…とか言ってましたけど、妻からしたら他人との浮気よりも母に性処理してもらってる夫っていう方が身の毛もよだつのではないかと思いますがw嫁の居ない日に眠る小さな娘の横で母を抱いたこともありますので、夫としても父としてもろくでもないんですよ…
私が完全に“母子相姦やめるのやーめた”ってなったのは、性処理事変の後ぐらいですかね。
母の身体が一番興奮することはもう、一生変わらないなって思って。自分で始めたくせに途中から“普通”になろうとか躍起になってたけど、そもそも“実の母親の身体が世の中の女の中で一番興奮する”っていう時点でもう普通じゃないんだよなって気がつきまして。
母を最初無理やり押し倒してしまったことに対する後悔はずっと消えてはいないですが、母ももう嫌がってなくてむしろ、あの時点では私を求めてくれるようにもなっていましたし。嫁や娘に申し訳ない気持ちがないわけではないですけど、私も母も抗うのはやめて快楽に従う道を選んでしまいました。
母が父の居ない日を連絡してきてくれたり、逆に私が妻の居ない日を知らせて家に来てもらったり、たまにラブホ。出張ってことにして旅行にも行ってましたね。
まだあまり書いてないですが、普通のデート(当然その後、セックスもしますけどw)も、大人になってからはちょくちょくしてましたね。買い物、映画、カラオケ。2人で飲みに行ったりもしてました。母は楽しい人だったので、一緒に過ごすのも面白かったんですよね。…マザコンの極みでしょう?
その辺のデート話もまたぼちぼちと。
前のブログ記事が30歳手前ぐらいまでしかないので、その後は記憶と捏造でw10年前なんて最近の出来事みたいなもんなので、記憶はかなり濃厚です。
母は病死だったんですが、病気が発覚してから亡くなるまでとても早かったんですよね。なので入院する前に抱いたのが最後。…ヤバい、まだこれはあかんやつなので終わりますw
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